生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その11 ~ 病と闘った最晩年

1914年、当時オーストリア領であったボスニア=ヘルツェゴビナサラエヴォで、一人のセルビア人にフェルディナンド・オーストリア皇太子夫妻が暗殺された事をきっかけとして、第一次世界大戦が勃発した。

     Archiduke in Sarajevo
     セルヴィアを訪れたフェルナンド皇太子夫妻

身内も次々と戦争に動員されていく中で、パリからロワール地方アンジェに疎開したドビュッシーは気分が著しく落ち込み、少し前から腸の病気に悩まされていた事もあり、創作意欲が著しく低下、この年は作品らしい作品を作る事が出来なかった。

翌1915年3月には、最愛の母親が無くなるなどの悲しみも襲ったが、この頃から、ドビュッシーの中で再び創作意欲が湧きおこったようで、7月にノルマンディー地方の海辺の村、プールヴィルに移ってから、2台のピアノのための「白と黒で」「12の練習曲集」、構想だけで未完に終わった「6つのソナタ」の最初の2曲などを次々と完成させている。

極めて充実していたプールヴィルでの3カ月の滞在を終えてパリに戻ってきたドビュッシーだったが、程なくして、直腸癌の診断を受けてしまう。12月に手術を受けた後、放射線治療を受けたドビュッシーの体力は低下し、翌1916年は作曲すら出来ない1年を送る事になった。

1917年に入り、体調は万全ではなかったものの、創作意欲が少し回復したドビュッシーは、自信最後の完成作となるヴァイオリン・ソナタを作曲する。これは、彼が計画していた6曲のソナタの3曲目にあたり、この後は、オーボエ・ホルンとクラヴサントランペット・クラリネット・ファゴットとピアノコントラバスを中心とした合奏ソナタ、というように楽器の編成は決まっていたが、作曲される事はなかった。

       Debussy 1917
       1917年頃のドビュッシー

1917年の年末頃から身体の衰えが著しくなったドビュッシーはついには寝込んでしまうようになり、ついには1918年3月25日、親しい友人たちに見守られながら息を引き取る。55歳7カ月の生涯であった。当初ペール・ラシェーズ墓地に安置された棺は、その1年後に遺言通り、パッシーの墓地に移され、現在でもそこに眠っている。

     Grave de Debussy

【フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ】
Toward the Sea
Toward the Sea III
Honegger: Petite Suite
Denisov: Duo
Takemitsu: Toward the Sea III
Britten: Lachrymae
Debussy: Sonate pour Flute,Alto et Harpe
Takemitsu: And Then I Know ’t was Wing
フルート: オーレル・ニコレ
ヴィオラ: 今井信子
ハープ: 吉野直子
1993年録音


前述の通り、ドビュッシーが晩年に計画した「様々な楽器のための6つのソナタ」の2曲目として、1915年に完成させた作品。

フルートとヴィオラ、ハープという極めて珍しい編成のソナタであるが、フルートとハープという、どちらかと言えば透明感のある音色が特徴の楽器に対して、ぬくもりのあるヴィオラの音色を加える事により、音色に変化を与えている。ドビュッシーは当初はヴィオラではなく、オーボエを想定していたらしいが、より低い音域の弦楽器を加えた事が音楽に奥行きを与える事に成功している。

晩年は体力・気力の低下に悩まされ、作曲もままならない時期が長かったドビュッシーが遺す事の出来た奇蹟のような素晴らしい作品!

ベルリン・フィルの首席フルート奏者を務め、20世紀最高のフルーティストの一人であるオーレル・ニコレ今井信子さんや吉野直子さんと組んだこのCDは、このドビュッシーの傑作のみならず、武満徹の作品やブリテンオネゲルなど20世紀に生まれた珠玉の室内楽の作品を集めていて、どの演奏も素晴らしい!
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その10 ~ 第1次世界大戦前夜

前奏曲集第1巻を完成させるなど、徐々に音楽活動が活発になってきたドビュッシーだが、長女が生まれた事もあって、生活は再び苦しくなっていた。家計を助けるために、ウィーンブタペストへの演奏旅行を行う。演奏会自体は大成功だったようだが、ブダペストで彼の支持者が開いてくれたパーティーで、彼の功績として「旋律を廃止した」と紹介された事に対して、その場の雰囲気が気まずくなるのも厭わず、「自分の音楽全体はただ旋律であろうとしかしていないのだ」などと反論したりしている。

     Debussy 1910

演奏旅行から戻ってきたドビュッシーに、イタリアの詩人で劇作家でもあるガブリエーレ・ダヌンツィオによる聖史劇「聖セバスティアンの殉教」への付随音楽作曲の依頼が来る。初演は1911年5月にパリ・シャトレ劇場で行われたが、全体で4時間以上もかかる大作であったにも関わらず、音楽の部分はわずか55分しかない、というアンバランスな構成であったため、評判は芳しくなかった。ドビュッシーはその後この作品のオペラ化を模索していたが、それはついに実現しなかった。

       Debussy_20121126063314.jpg

「聖セバスティアンの殉教」の作曲などである程度まとまった収入があったにも関わらず、一向に暮らしは良くならない中、ドビュッシーは作曲に精を出し、「前奏曲集第2巻」を完成させている。

     Debussy 1911

1912年には、当時一大センセーションを巻き起こしていたディアギレフ率いるロシア・バレエ団が来仏し、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」と共に、「牧神の午後への前奏曲」が上演された。しかしながら、これが初の振付だった、ニジンスキーのギクシャクとしてエロチックな振付はまったくドビュッシーの気に入らず、彼はこのバレエ団とは距離を置こうと決心したものの、まとまった金が欲しいがために、結局、新作バレエ「遊戯」の音楽を作曲する事に同意する。

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1913年5月に行われた初演は、またしても芳しくない結果に終わったが、その2週間後に行われたストラヴィンスキー「春の祭典」の歴史的スキャンダルとなった初演のおかげで、すっかり影に隠れてしまった。

     Rite of Spring

そうする中、12月には家計を助けるために、ロシアへの演奏旅行、翌年2月から3月にかけては、ローマアムステルダムへの演奏旅行を敢行し、旅行があまり好きではないドビュッシーは肉体的にも精神的にも疲弊していった。そうする中、6月にはついに第1次世界大戦が勃発する。

【前奏曲集第2巻】
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ドビュッシー: 前奏曲集
ピアノ独奏: クリスティアン・ツィマーマン
1999年 録音


1910年に完成した傑作、「前奏曲集第1巻」に続いて、この「第2巻」が作曲されたのは1913年。3カ月という短期間で書き上げられた前作に対して、こちらは約4年を費やして完成されている。

前作同様、5音階や全音階などを積極的に用いながら、響きはさらに自由に、精緻になった感がある。こちらもそれぞれに曲名が付けられており、聴き手の想像を掻き立てる。

1.霧 - Brouillards
2.枯葉 - Feuilles Mortes
3.ヴィーノの門 - La Puerta del Vino
4.妖精たちはあでやかな踊り子 - Les Fees Sont d’Exquises Danseuses
5.ヒースの荒野 - Bruyeres
6.奇人ラヴィーヌ将軍 - General Lavine - Excentrique
7.月の光が降り注ぐテラス-La Terrasse des Audiences du Clair de Lune
8.水の精 - Ondine
9.ピクウィック殿をたたえて-Hommage a S.Pickwick Esq. P.P.M.P.C.
10.カノープ - Canope
11.交代する三度 - Les Tierces Siternees
12.花火 - Feux d’Artifice


ポーランドの名ピアニスト、ツィマーマンのCDは、前奏曲集全集として、2枚組のセットで発売されたものだが、曖昧さを排し、クリアで研ぎ澄まされた音色でこの曲集の素晴らしさを余すことなく伝えていると思う。

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生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その9 ~ 前奏曲集第1巻

リリーとの離婚騒動にも決着がつき、ようやく心の落ち着きを取り戻したドビュッシーは、代表作「海」に続き、1905年8月には、ピアノ曲「映像」第一集を完成させる。新しい和声の響きが緊密な構成のの中に散りばめられているこの曲集について、ドビュッシーは相当自信を持っていたらしく、この作品は、「シューマンの左かショパンの右に位置付けられるだろう」などと語っている。

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そして、10月にはエンマが、ドビュッシーにとって初めての子供となる長女、クロード=エンマ(愛称シュシュ)を産む。このちょっと前に、「海」の初演がパリコンセール・ラムルーで行われたが、これは従来のドビュッシーの擁護者にも理解されず、落ち込んだ彼は、創作の筆が進まなくなってしまった。

     Debussy et Chouchou
     ドビュッシーとシュシュ

1907年にようやく「映像」第2集を完成させた後、1908年には、愛娘のために書いたピアノ曲集「子供の領分」が生まれる。この頃からドビュッシーの作曲の筆も少しは進むようになり、管弦楽のための「映像」の作曲を進めるかたわら、1910年2月には、わずか3カ月という短期間で書き上げた傑作、「前奏曲集」第1巻を完成させる。

【前奏曲集 第1巻】
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ドビュッシー: 前奏曲集 第1巻
ピアノ独奏: アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ
1975年 録音


1909年12月から1910年2月までのわずか3カ月という短期間で書き上げられたこの傑作は、ショパンのものとは違い、その後作曲された第2巻を通じて、24の調がそれぞれの曲に割り当てられている訳ではない。

この曲集には、当時ドビュッシーが好んだ五音音階全音音階などの新しい響きが積極的に使われていて、それまでのピアノ音楽とは全く異なるドビュッシー独自の世界を作り上げている。それぞれに付けられた曲名も詩的で、聴く者の想像力を掻き立てる。

1.デルフィの舞姫 - Danseuses de Delphes
2.ヴェール(帆) - Voiles
3.野を渡る風 - Le vent dans la plaine
4.夕べの大気に漂う音と香り - Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir
5.アナカプリの丘 - Les collines d'Anacapri
6.雪の上の足跡 - Des pas sur la neige
7.西風の見たもの - Ce qu'a vu le vent d'ouest
8.亜麻色の髪の乙女 - La fille aux cheveux de lin
9.とだえたセレナード - La sérénade interrompue
10.沈める寺 - La cathédrale engloutie
11.パックの踊り - La danse de Puck
12.ミンストレル - Minstrels


この曲の代表的名盤とされるイタリアの名ピアニスト、ミケランジェリの演奏は、透徹した大理石のような肌触りの音色で、ドビュッシーがこの曲に込めた新しい響きの世界をこの上なく美しく表現していると思う。

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生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その8 ~ 私生活のトラブルから傑作「海」誕生まで

1899年に完成した夜想曲の初演で好評を博したものの、相変わらず困窮生活が続いていたドビュッシーは、評論活動を行うなどして生活の糧を得る一方で、「ピアノのために」などのピアノ曲を作曲したり、友人ピエール・ルイスの詩になる「ビリティスの歌」の付随音楽を作曲するなどしていた。

       Pierre Louys
       ピエール・ルイス(1870~1925年)

そうこうするうちに、ついに念願の「ペレアスとメリザンド」の上演が決まり、自分の愛人を出演させようとした原作者メーテルリンクの介入などの障害を乗り越えて、1902年4月30日、パリのオペラ・コミック劇場で初演が行われた。

     Pelleas.jpg
     初演舞台(第2幕第3場)のイラスト

従来とは全く異なる新しい音楽の出現に、批評家からの評判は悪かったが、それでもスペインの作曲家ファリャや指揮者アンゲルブレシュトら、若い音楽家からは熱狂的に支持する者も多く、結果的には6月末のシーズン終わりまで、14回の公演が行われる成功作となった。

     Pelleas 2
     同 第1幕第3場

この上演に感銘を受けた一人に、詩人で哲学者・音楽評論家でもあるルイ・ラロワがいた。好意的な批評を描いたラロワと親交を結んだドビュッシーは、ラロワの尽力により、1903年初頭にはレジオン・ドヌール五等勲章が与えられる事になった。

こうして幸先良いスタートを切った1903年だったが、ペレアスの上演に全精力を傾けた影響か、作曲活動の方は滞っていた。それでも、ドビュッシーのピアノ作品として重要な位置を占める「版画」が作曲されている。

1904年に入り、ドビュッシーはその頃ピアノを教えていた生徒のラウル・バルダックの母親、エンマと親密な関係になってしまう。

     Debussy et Emma
     ドビュッシーとエンマ・バルダック

ドビュッシーと同い年だったエンマは、非常に若々しく、一回りも歳が若いドビュッシーの妻リリーと並んでも遜色がなかったと伝えられている。知的で教養があり、素人離れした歌唱力を持っていた彼女はパリの社交界でも知られた存在で、フォーレヴェルレーヌも彼女に触発された作品を生み出している。

彼に尽くしていた妻リリーに対し、なかなか別れ話を切り出す事が出来ないドビュッシーだったが、ついに1904年7月末にはエンマイギリスジャージー島へ駆け落ちしてしまう。

9月にはパリに再び戻ってきたドビュッシーだが、自宅には戻らず、傷心のリリーは10月にはピストルで自殺を図ってしまう。幸い一命を取りとめたものの、この事が新聞に載ってしまった事からパリの社交界を揺るがす一大スキャンダルとなってしまい、ドビュッシーはまたしてもリリーに同情した多くの友人を敵に回す事となってしまう。

その後の離婚手続きは、ドビュッシーに一方的に非があった事もあり、予想通り難航するが、翌年7月には成立、エンマの方は夫に不倫の事実が発覚した事もあり、こちらはスムーズに離婚手続きが進み同年12月には成立。二人は晴れて一緒になる事が出来たのであった。

そしてこの年には、1903年から作曲を進めていた彼の代表作、交響詩「海」が完成する事になるのである。

【交響詩「海」】
Debussy Martinon
ドビュッシー: 管弦楽曲全集
ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団
1973~74年録音


幼い頃に一時期住んでいたカンヌで初めて見た海の印象が終生頭を離れず、作曲家になっていなかったら船乗りになりたかったと答えているドビュッシーにとって、その海にインスピレーションを得た作品を生み出すのは当然の成り行きだったのだろうか、「夜想曲」以来、久々の管弦楽作品となったこの作品には、それまでにない新機軸が打ち出されている。ドビュッシーは、「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ」と後年語っているが、この作品は彼のその言葉を初めて体現した作品といってよい。

全体は3部に分かれていて、それぞれ以下の表題が付けられている:

1.海の夜明けから正午まで
2.波の戯れ
3.風と海の対話

フランスの名指揮者、ジャン・マルティノンの盤は長らくドビュッシーのオーケストラ作品演奏の決定盤といわれている名盤で、70年代の古い録音ながら、今年EMIから出されたSACDはロンドンEMI本社に保管されているアナログマスターから丁寧にリマスタリングされただけあって、素晴らしい音質に蘇っており、演奏の素晴らしさを堪能できる。

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生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その7 ~ 困窮生活の中で

1894年の婚約をめぐるごたごた騒ぎがあった後のドビュッシーは、上流社会から締め出された事により、収入の道が細り、困窮生活を強いられた事もあり、歌劇「ペレアスとメリザンド」を完成させた以外は目立ったほとんど作品を生み出す事が出来ず、生活面のみならず、創作面でも停滞した時期を過ごしていた。

       Debussy_20121001034625.jpg

1898年には、自殺未遂騒動などのゴタゴタの末、ついに8年間連れ添ったギャビーとも別れる事になる。翌99年6月には、かって彼に援助の手を差し伸べてくれていたショーソンが、不慮の自転車事故で亡くなるが、頑固な彼は、友人たちの助言にもかかわらず、葬儀にも参列しようとしなかった。

     Famille Chausson
     ショーソン一家

そんなある日、ロザリー・テクシエ(通称リリー)と出会い、恋に落ちていた。ドビュッシーによる熱烈な求婚の末、二人は10月19日に結婚式を挙げる。教会で行う金もなかったため、市役所で証人3人を招いただけの、極めて簡素な結婚式であった。

     Debussy et Tessier

相変わらず困窮生活は続いていたが、結婚をして精神的にも落ち着いたせいか、この年末には「牧神の午後への前奏曲」以来の主要管弦楽曲となる「夜想曲」を仕上げる。

【夜想曲】
Nocturnes Boulez
ドビュッシー: 管弦楽曲集
ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団
1991年 録音


ドビュッシーは、生涯に数度作曲活動上の空白期間があるが、私生活でトラブルを抱える事の多かった彼にとって、作曲に集中出来ない状態が度々あったのだろう。 1895年に傑作、「ペレアスとメリザンド」の第1稿を完成させて後の2年間は作曲らしい作曲をしていない。

婚約騒動のおかげで、上流社会から締め出され、困窮生活を余儀なくされたため、作曲どころではなかったものと推察はされる。1899年にリリーと結婚して精神的に安定したのか、ようやく完成させたのがこの「夜想曲」。

夜想曲はショパンが大きく発展させた器楽曲のジャンルの一つであるが、ドビュッシー自身の言葉を借りれば、「従来の夜想曲の形式とは関係なく、想起される様々な印象と光の特別な効果について、この言葉("夜想曲")が呼び起こす全てが含まれる」との事である。

曲は「雲」・「祭」・「シレーヌ」の3部に分かれており、それぞれのタイトルから想起される情景が見事に描きだされている。「牧神」・「海」と並んで、ドビュッシーの代表的なオーケストラ作品の一つとして、幅広く演奏されている。

このブーレーズの演奏は、彼らしい、明晰な演奏で、曲の細部が精緻に描き出されている。クリーヴランド管の精緻なアンサンブルが彼の音楽作りと相乗効果を発揮していて、素晴らしい演奏となっている。

テーマ : クラシック
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