生誕200周年! ヴェルディの生涯をたどって: その10 〜 人生は喜劇!

ヴェルディが、これまでの全てを注ぎ込んで完成させた「オテロ」の初演が空前の成功を収めた後、彼はサンターガタの農園に戻り、しばらく音楽活動から遠ざかり、農園経営と慈善事業に力を入れた。

 SantAgata.jpg

1888年には私財を注ぎ込んで病院を建設し、次いで音楽家のための養護院の建設にも取りかかった。

 Casa di Riposo

作曲活動から引退してしまったかのようなヴェルディに再び作曲の筆を取らせたのは、やはりボーイトだった。これまで喜劇を作曲したことがあなく、かってロッシーニに「喜劇の才能がない」とまで言われたヴェルディが、最近喜劇に関心を持ち出しているらしいのを知っていたボーイトは、シェイクスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」のオペラ化を持ちかけ、ヴェルディもその気になった。

 Verdi and Boito
 ヴェルディとボーイト

1889年の4月頃から始められた、主人公の名前を取って「ファルスタッフ」と題されたオペラの作曲は1892年の秋には完成する。世界中の注目を集めて1893年2月9日にミラノ・スカラ座で行われた初演は、またしても輝かしい成功を収めた。

 Falstaff Premiere
 「ファルスタッフ」初演時の光景

初演後、熱狂の渦を巻き起こしながらヨーロッパ各国で上演されたこのオペラ、ベルリンでの公演に接した若きR・シュトラウスは、感激のあまり、自分の処女作である「グントラム」の総譜をヴェルディに贈っている。

 R Strauss

周囲の喧騒をよそに、ヴェルディは今度こそオペラ作曲の筆を絶ってしまったようだ。宗教音楽に関心を向けたかれは、その後「テ・デウム」「スターバト・マーテル」「聖歌四篇」など、4曲の宗教音楽を完成させる。

 Verdi_2013123013073772c.jpg

1897年11月には、長年ヴェルディの伴侶として彼を支え続けていたジュゼッピーナがこの世を去る。84歳の生涯であった。ジュゼッピーナの死後は、テレーザ・ストルツヴェルディを支え続けるがめっきり年老いてしまった彼は、もはや作曲の筆を取ることもなく、慈善事業など、その他の活動に時折関わるのみとなる。

      Strepponi_201312301315299d6.jpg
      晩年のジュゼッピーナ

1901年1月のある寒い朝、滞在中のミラノで医者の往診を受けた直後にヴェルディは意識を失って倒れてしまう。ヴェルディ危篤のニュースが世界中をかけめぐり、スカラ座は公演を中止し、ミラノ市民はヴェルディが滞在しているホテルの前の道路に藁を敷き詰めて、馬車の通る音が響かないようにしたりしたが、ヴェルディの意識は戻ることなく、1月27日午前2時、ついに87歳の生涯を閉じる。ヴェルディの遺体はジュゼッピーナと共に、彼が晩年に情熱を燃やした事業で、1899年に完成した「音楽家のための憩いの家」の礼拝堂に埋葬された。

 Verdi Funeral
 ヴェルディの葬儀の模様

歌劇「ファルスタッフ」
Falstaff Karajan
ヴェルディ: 歌劇「ファルスタッフ」
ファルスタッフ: ジュゼッペ・タディ
フォード: ローランド・パネライ
フェントン: フランシスコ・アライサ
フォード夫人: ライナ・カヴァイバンスカ
ナンネッタ: ジャネット・ペリー
ページ夫人: トゥルデリーゼ・シュミット
クイックリー夫人: クリスタ・ルートヴィヒ ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1980年録音)


ヴェルディ最後のオペラは、これまでとは打って変わってのオペラ・ブッファだが、アリアと重唱をきっちりと定めた従来のオペラ・ブッファの様式とは全く異なり、ヴェルディが前作の「オテロ」で発展させた技法を駆使して、歌やアンサンブル、朗唱が自在に交錯しながらオーケストラとも見事に一体化して音楽が流れていく、素晴らしい作品となった。

このカラヤン晩年の録音は、円熟のタディを始めとする名歌手たちを揃えた自在の演奏で、ウィーン・フィルの艶やかな音色を生かした名演。
スポンサーサイト

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

生誕200周年! ヴェルディの生涯をたどって: その9 〜 シェイクスピアへの挑戦

アイーダの成功により、世界で最も注目される作曲家の一人となったヴェルディだが、このオペラとレクイエムの作曲に精力を使い果たしたのか、その後数年間は作曲活動から遠ざかる日々が続いた。

      Verdi_201311290351493a9.jpg

1874年には上院議員に選出されたりもしたが、特に政治に情熱を傾ける訳でもなく、むしろその間、テレーザ・ストルツとの仲がスキャンダルを巻き起こしたりしているほかは、あまり目立った事は起きていない。

どうしてもヴェルディに作曲活動を再開してもらいたい出版社のリコルディは、1879年に入ってオペラ「メフィストフェレ」で知られる作曲家で詩人のアッリーゴ・ボーイト(1842~1918年)を引きあわせる。

      Boito.jpg

ヴェルディは、かってボーイトが若い頃、彼を含む「イタリア音楽の後進性」を批判した事を快く思っていなかったが、彼が書き上げたシェイクスピア「オテロ」のオペラ化台本を読んで気に入ったヴェルディは、ようやく新しいオペラを作曲する気になる。

 Verdi e Boito

それに先立ち、 二人はシモン・ボッカネグラの改訂作業を行うが、1881年3月にミラノ・スカラ座で上演された改訂版においてタイトル・ロールを歌ったバリトン歌手のヴィクトール・マウレルの歌唱に感激したヴェルディは、彼をイヤーゴ役に起用してオテロよりイヤーゴを中心に据えたオペラとして作曲する事を考える。

しかし、かれこれ7年間も作曲活動から遠ざかっているヴェルディの筆はなかなか進まない。ボーイトに対して、数え切れないほど台本の手直しを指示しながら過ごしていた1882年、同年生まれのもう一人の巨星、ワーグナー死去の報がヴェルディの元に届く。

 Wagner.jpg

ワーグナーの死はヴェルディに動揺をもたらしたものの、それでもなかなか作曲のペースは上がらない日々が続いたが、ついに1886年11月にオペラは完成し、翌年2月にミラノ・スカラ座で初演が行われ、圧倒的な成功を収めた。作曲再開を決意してから実に7年もの歳月がたっていた。

 La Scala

歌劇「オテロ」
Otello Karajan
ヴェルディ: 歌劇「オテロ」
オテロ: マリオ・デル・モナコ
デスデモナ: レナータ・テバルディ
イヤーゴ: アルド・プロッティ ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1961年録音)


長年「リア王」のオペラ化を構想しながら果たせなかったヴェルディが、ボーイトという天才的な台本作家を得て、1848年の「マクベス」以来、久々にシェイクスピアの戯曲のオペラ化に挑戦した作品。

 Met 2012
 メトの2012~3年シーズンのオテロ公演

老境のヴェルディが、当時ヨーロッパに吹き荒れていたワーグナー旋風に対する回答として、それまで彼自身も従ってきたイタリアの番号オペラの伝統の枠を突き破り、作品全体を連続した流れとして構成し、その後のイタリア・オペラの様式の方向性を決定づけた作品としても有名。そのためか、オペラ全体を流れる劇的な緊張感は比類がなく、ヴェルディの偉大さが遺憾なく発揮されている。

 Otello Vienna
ウィーン国立歌劇場の舞台

黄金のトランペットと称えられ、20世紀を代表するオテロ歌いとし名を馳せたマリオ・デル・モナコカラヤンと共演したこのCDは、古典的名盤といわれるもの。

生涯に427回もオテロを演じたといわれるモナコだが、その鋼のような強い声は、しなやかさには欠けるのかも知れないが、オテロが激情に駆られ、悲劇に向かって突き進んで行く様を、カラヤンが作り出すスケールの大きな音楽(ヴェルディにしてはシンフォニックに過ぎるという意見もあるのかも知れないが)の下で、ものの見事に表現している。

 Monaco.jpg
 マリオ・デル・モナコ

当時のイタリアを代表する名ソプラノ、テバルディプロッティら共演陣も好調で、このオペラの素晴らしさを堪能できる。古い録音ながら、音質も良い。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

生誕200周年! ヴェルディの生涯をたどって: その8 〜 芸術の集大成へ

1867年に傑作「ドン・カルロ」を完成させて燃え尽きたのか、しばらくはサンターガタの農園に閉じこもる生活を送る事になる。ようやく仕事を再開する気になったのは、翌年の夏、ミラノで国民的詩人であるアレッサンドロ・マンゾーニに会ってから。

 Manzoni_201311040426091ce.jpg

高齢にもかかわらず、いまだなお芸術への情熱が衰えないマンゾーニから再び創作へのインスピレーションを得たヴェルディは、まずは旧作の「運命の力」の改訂に取りかかる。新しい序曲やフィナーレ部分の書き直しなど大幅に手が加えられた改訂版「運命の力」は1869年2月にミラノ・スカラ座で上演され、圧倒的な成功を収める。

 La Scala

ちょうどその頃から、「ドン・カルロス」や改訂版「運命の力」に起用されてヴェルディから高い評価を受けたソプラノ歌手テレーザ・ストルツヴェルディの仲が親密になってくる。ストルツはこの頃ヴェルディのオペラの指揮を数多くこなしていた指揮者のマリアーニの婚約者であったため、これ以降、マリアーニヴェルディと距離を置くようになり、ワーグナーのオペラのイタリア初演を手掛けるようになる。

     Stolz.jpg

その頃、エジプトではスエズ運河の開通を記念した新作オペラをヴェルディに委嘱する話が持ち上がる。ストルツとの恋がヴェルディの創作力に新たに火をつけたのか、エジプトを舞台にした「アイーダ」、「ドン・カルロ」にも増して充実した傑作となった。1871年12月に新しいカイロのオペラ劇場で初演されたこのオペラは圧倒的な成功を収め、翌年2月のスカラ座の上演では、ヴェルディが熱狂した聴衆に32回も呼び出される程の成功となった。

 Cairo Opera House

アイーダの輝かしい成功の中、1873年5月にヴェルディのインスピレーションの源だったマンゾーニが死去する。深い悲しみに包まれたヴェルディは彼の死を悼むレクイエムを作曲し、彼の1周忌である1874年5月に初演を行う。この作品もヴェルディの円熟した技法が駆使され、他に類を見ない劇的な宗教作品となった。

歌劇「アイーダ」
Aida Muti
ヴェルディ: 歌劇「アイーダ」
アイーダ: モンセラート・カバリエ (S)
ラダメス: プラシド・ドミンゴ (T)
アムネリス: フィオレンツァ・コッソット (MS)
アモナズロ: ピエロ・カップッチッリ (Br)
ランフィス: ニコライ・ギャウロフ (Bs) ほか
リッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管 (1974年録音)


ヴェルディ58歳の頃の作品で、通算26作目のオペラ(改訂を除く)。古代エジプトを舞台にした異国情緒とフランス時代に身に付けたグランド・オペラのスタイルが見事に融合したスケールの大きさのみならず、ドン・カルロで一段と成熟した心理描写の巧みさも加わった、まさにこれまでヴェルディが積み重ねてきた作風の総決算とも言える傑作。

 Aida at Met
 メトロポリタン歌劇場の舞台

第2幕の有名な凱旋の場の類を見ない華麗さだけでなく、お互いに恋敵である事知ったアイーダアムネリスの緊迫した2重唱での心理描写の見事さ、第3幕のナイル川河畔でのアリアや二重唱の美しさ、第4幕のアムネリスの苦悩の描写の見事さなど、すべてが完璧な作品。メトでも、椿姫ボエームをさしおいて、上演回数が最も多いのもうなずける。

 Aida at Scala
 スカラ座の舞台

ムーティ若き頃の録音であるこの盤は、何よりもキラ星のごとく揃った名歌手の素晴らしい歌唱が魅力。それぞれが絶頂期にあった歌手たちが繰り広げる名唱の数々を聴いていると、これこそがイタリア・オペラの醍醐味と思わざるを得ない。ムーティの若々しい指揮も魅力的。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

生誕200周年! ヴェルディの生涯をたどって: その7 〜 円熟の境地

1859年2月の「仮面舞踏会」の初演後、イタリア統一の最中、国会議員に選出されたヴェルディは、しばらく作曲の筆を取ることが出来ない状況が続いたが、ロシアサンクトペテルブルク帝室劇場からの依頼により、新しいオペラの作曲に取り掛かった。

 Mariinsky.jpg

今回の題材はスペイン人のリバス公ドン・アンヘル・デ・サーベドラ・ラミレス・デ・バンケダーノの戯曲「ドン・アルヴァーロ、または運命の力」でオペラは1861年暮れには完成したものの、ヴェルディが主役に想定していたソプラノ歌手の病気により延期を余儀無くされ、初演は翌シーズンに持ち越しとなった。

サンクトペテルブルクからパリ経由でロンドンに向かったヴェルディ夫妻は、当地で開催された第2回万国博覧会の開会式ために、カンタータ「諸国民の賛歌」を作曲したが、これは主催者側の行進曲を、という依頼に従わなかったために、結局開会式では演奏されずに終わった。ハー・マジェスティック劇場に会場を移して行われた初演は、聴衆の熱狂的な拍手に迎えられ、一応満足したヴェルディは1862年6月にサンターガタに戻った。

 Majesty.jpg

次はいよいよ「運命の力」の初演。入念な準備を経て11月に初演されたこの作品は大成功を収め、ムソルグスキーをはじめとする当時のロシアの若手作曲家達にも大きな影響を与える事になる。

 Mussorgsky.jpg

地元サンターガタに戻ってしばらくは農園経営に専念したヴェルディの次のプロジェクトは、パリ・リリック劇場の依頼による「マクベス」のフランス語版の上演。かねてより、愛着のあるこの作品の改定の必要性を感じていたヴェルディは、これを機会に作品に大幅に手を入れ、1865年4月に上演するが、同時期にオペラ座にて初演されたマイアベーア「アフリカの女」の大成功の影に隠れてしまう。

 Lyrique.jpg

マクベスが初演された辺りから、たび重なるパリ・オペラ座からの仕事の依頼を受けていたヴェルディは、それまでの同劇場との度々のトラブルから、返事を先延ばしにしていたが、台本にシラー「ドン・カルロス」を提示され、ようやくその気になる。

 Palais Garnier

途中、オーストリア・プロイセン戦争の勃発や、父の死去などにより作曲の筆はなかなかはかどらなかったものの、1867年3月にようやく初演にこぎつける。初演は賛否両論だったものの、後にイタリア語改訂版も作られたこの作品は、ヴェルディ円熟期の傑作としての評価が定着する事になる。

歌劇「ドン・カルロス」
Don Carlos
ヴェルディ: 歌劇「ドン・カルロス」
ドン・カルロ:ホセ・カレーラス (テノール)
フィリッポ2世:ニコライ・ギャウロフ (バス)
ロドリーゴ:ピエロ・カプッチッリ (バリトン)
エリザベッタ:ミレッラ・フレーニ (ソプラノ)
エボリ公女:アグネス・バルツァ (メゾ・ソプラノ)
大審問官:ルッジェロ・ライモンディ (バリトン)
修道僧:ホセ・ファン・ダム (バリトン)
テバルド:エディタ・グルベローヴァ (ソプラノ)
天の声:バーバラ・ヘンドリックス (ソプラノ)
ヘルベルト。フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル (1978年録音)


ヴェルディ円熟期の傑作は、パリ・オペラ座からの委嘱により作曲されたため、5幕物のフランス語オペラとして完成したが、その後ヴェルディの手によって、5幕や4幕のイタリア語版に変更されたりして、種々の版が存在する事でも知られる。フランス語版はフランス以外ではあまり上演される事はないようだが、最近はメトをはじめとして、5幕のイタリア語版で上演される頻度が高いようだ。

 Met Don Carlo
 メトの舞台

この作品は豊かななドラマと充実した音楽に満ち溢れていて、ヴェルディを聴く醍醐味をたっぷりと味わえる。特に第4幕のフィリッポ二世のアリア「彼女は私を愛してはいない」はバリトンのアリアとしては屈指の傑作で、いつ聴いても心を揺さぶれる名曲。

主要登場人物5人にそれぞれ素晴らしい音楽が割り当てられているため、主役5人の力量がそろわないと上演が難しいオペラでもあるが、カラヤン絶頂期にザルツブルク音楽祭で上演され、大きな話題を呼んだ上演のキャストを起用して録音したこの盤は、カラヤンの音楽作りこそヴェルディの音楽とはやや異質かもしれないが、揃えられた名歌手たちの歌唱は素晴らしい! なお、この盤はイタリア語・4幕版での録音。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

生誕200周年! ヴェルディの生涯をたどって: その6 〜 充実期

1853年に傑作「ラ・トラヴィアータ」を完成させたヴェルディだが、その後しばらくはサンタガータの農園にとどまり、農園の経営に専念する。

 Sant Agata

こうして農園からも安定した収入を確保出来るようになった事と出版社リコルディとの交渉の末、遂に念願の著作権を手に入れた事になったヴェルディは、自分の芸術に専念する事のできる環境を作り上げる事に成功した。

 Verdi.jpg

これまで馬車馬のように働いてきたヴェルディにとって、この事は一大転機をもたらし、以降創作のペースは緩やかになっていく。

8月頃から、パリ・オペラ座のための新作への着手を開始したヴェルディ、今度は打って変わって、パリで流行していたグランド・オペラのスタイルに挑戦する事を決めた。

 Palais Garnier

オペラ座の台本作家ウジェーヌ・スクリーブによる台本に基づく「シチリアの晩鐘」は、ヴェルディにとって初めてのグランド・オペラへの挑戦だったため、作曲が難航したものの、1855年6月にようやく初演にこぎつけた。

      Scribe.jpg

このオペラはヴェルディとしては必ずしも会心の出来ではなかったようだが、それでもパリの聴衆には気に入られ、上演は大成功となる。

次のオペラはヴェネツィア・フェニーチェ劇場の1856〜7年シーズンのための新作。選んだ題材は「イル・トラヴァトーレ」の原作者ガルシア・グティエレス「シモン・ボッカネグラ」

14世紀のジェノヴァ総督シモン・ボッカネグラを主人公としたこの台本に、イタリア統一の暗示を感じ取った当局の介入と闘いながら作曲を進めたヴェルディは、1857年3月に初演にこぎ着ける。

 La Fenice

当時のやり取りには、視覚的な効果を説明しながら、舞台装置や照明などに具体的な指示を記録が残されており、ヴェルディがいかにこの作品でオペラを単なる歌と音楽だけではなく、総合芸術として捉えていたかが分かる。

ゲネプロに立ち会ったヴェルディの弟子ムツィオが「驚くべき作品で、美しく感動的だが、聴衆がこの作の真価を理解するには時間がかかり、初演は恐らく冷淡な反応に終わるであろう」と述べた通り、失敗に終わった「ラ・トラヴィアータ」初演時の9回を下回るわずか6回の上演しか行われなかった。

サンターガタに戻ったヴェルディは休む間もなく、リミニの新市立劇場のための旧作「スティッフェリオ」の改作にとりかかる。円熟味を増したヴェルディの手によって大幅に手を入れられ、「アロルド」と名前も変えられたこのオペラは1857年8月に初演され、好評を博す。

 Rimini.jpg

続いての作品は、スクリーブ「仮面舞踏会」を台本としたもので、当局の検閲により舞台をスウェーデンからアメリカに変えて完成され、1859年2月にローマのアポロ劇場で初演される。

この間、イタリア統一への動きは再び勢いを増し、国会議員に選出されたヴェルディも祖国統一に力を注いでいく。1861年2月、ほぼイタリアの統一が達成され、第1回のイタリア国会が召集されたのだった。

歌劇「シモン・ボッカネグラ」
Abbado_20130909060627a9c.jpg
ヴェルディ: 歌劇「シモン・ボッカネグラ」
シモン・ボッカネグラ: ピエロ・カップチッリ (バリトン)
マリア: ミレッラ・フレーニ (ソプラノ)
ヤコポ・フィエスコ: ニコライ・ギャウロフ (バス)
ガブリエレ・アドルノ: ホセ・カレーラス (テノール)
クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管・合唱団 (1977年録音)


ヴェルディの充実を物語る、彼としては20作目のオペラ。初演の失敗以来、長らく歌劇場のレパートリーから消えていた作品だが、アバドミラノ・スカラ座の音楽監督時代に積極的に取り上げてから、作品の真価が認められ、世界各地で上演されるようになってきた。

確かに主役はバリトンで、しかも耳に残るようなアリアは1曲も与えられていないという、異色のオペラだが、それが却って音楽の流れに自然さをもたらしていて、耳に心地よく響く音楽よりも、劇と音楽が緊密に結びつき合った中からもたらされる感動を重視していた事が伺える。

アバドは第1幕冒頭や第3幕などで、従来のヴェルディの音楽には見られなかった自然主義的な要素に着目しているが、確かにそういった響きは明確に聴き取る事が出来る。

やや地味からも知れないが、ヴェルディの充実期を代表する傑作!

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

プロフィール

アルページュ

Author:アルページュ
FC2ブログへようこそ!

カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード