生誕150周年! ドビュッシーの生涯をたどって: その6 ~ ペレアスとメリザンド
1894年の「牧神の午後への前奏曲」の初演では成功を収めたドビュッシー、当時は、1890年頃から付き合い始めたガブリエル・デュポン(通称ギャビー)と同棲生活を送っていたが、生活面ではかなり困窮した日々を送っていた。
そうした窮状を助けようと、作曲家ショーソンの義母である裕福なエスキュディエ夫人が自宅でドビュッシーを講師として、ワーグナーをテーマとした10回にわたるレクチャー・コンサートを催す事を企画した。ドビュッシーはこの会で解説・ピアノ・歌唱と一人3役をこなすなど奮闘したが、当時の一般の勤め人の年棒に相当する千フランという高額の謝礼をもらい、生活もひと息つく事が出来た。
ところが、彼はこともあろうに、自作の演奏会に出演してもらったショーソンの知人の娘、テレーズ・ロジェにいきなり結婚を申し込み、ギャビーの存在があったにも関わらず、1894年3月に二人の婚約が発表される。
案の定、婚約発表からわずか2日後には、ギャビーとの関係が明るみに出て、婚約は破棄され、上流階級の格好のスキャンダルの種となってしまったドビュッシーもパリのサロンから締め出される事になってしまうのだった。
【オペラ 「ペレアスとメリザンド」】
オペラ 「ペレアスとメリザンド」
メリザンド: マリア・ユーイング
ペレアス: フランソワ・ル・ルー
ゴロー: ジョゼ・ヴァン・ダム ほか
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
1991年 録音
私生活でトラブルに見舞われている間も、創作活動に集中していたドビュッシー、かねてから大きな関心を抱いていた、「青い鳥」で有名なベルギーの象徴派の詩人・作家のメーテルリンクが1892年に発表した「ペレアスとメリザンド」と出会い、この戯曲のオペラ化を熱望して、知人を介してメーテルリンクにオペラ化への許可を求める。
幸運にも作家からオペラ化の許可を得たドビュッシーは早速作曲に着手する。これから1902年の初演まで10年の長きにわたるこの作品との長い付き合いの始まりであった。
1894年2月には第1幕が完成し、その後ロジェ嬢との婚約騒動のゴタゴタのため、作曲が停滞する期間もあったものの、最終的には95年10月には全5幕の第1稿を完成させている。
しかしながら、この作品の完全な形での上演にこだわったドビュッシーに、この作品の上演の機会はなかなか訪れず、1902年4月30日にパリのオペラ・コミックで初演されるまで、さらに7年近くの歳月が流れる事となった。
20世紀のオペラの幕開けとなったといわれる重要なこの作品、ドビュッシーはメーテルリンクの台本の「言葉」を最大限生かすために、伝統的なアリアやレチタティーヴォを一切排した。それどころか、耳に心地よく響くメロディすらなく、音楽はひたすら言葉につき従うように繊細な響きを奏でていく。その音楽を通じて登場人物の魂・感情の動きが自然に浮かび上がっていく所がこのオペラの素晴らしいところ。
アバドの演奏は、この作品の素晴らしさ繊細に引き出している。ウィーン・フィルの音色がなんといっても魅力的!
⇒ ラトルがメトに初出演した「ペレアスとメリザンド」感想
そうした窮状を助けようと、作曲家ショーソンの義母である裕福なエスキュディエ夫人が自宅でドビュッシーを講師として、ワーグナーをテーマとした10回にわたるレクチャー・コンサートを催す事を企画した。ドビュッシーはこの会で解説・ピアノ・歌唱と一人3役をこなすなど奮闘したが、当時の一般の勤め人の年棒に相当する千フランという高額の謝礼をもらい、生活もひと息つく事が出来た。
ところが、彼はこともあろうに、自作の演奏会に出演してもらったショーソンの知人の娘、テレーズ・ロジェにいきなり結婚を申し込み、ギャビーの存在があったにも関わらず、1894年3月に二人の婚約が発表される。
案の定、婚約発表からわずか2日後には、ギャビーとの関係が明るみに出て、婚約は破棄され、上流階級の格好のスキャンダルの種となってしまったドビュッシーもパリのサロンから締め出される事になってしまうのだった。
【オペラ 「ペレアスとメリザンド」】
オペラ 「ペレアスとメリザンド」
メリザンド: マリア・ユーイング
ペレアス: フランソワ・ル・ルー
ゴロー: ジョゼ・ヴァン・ダム ほか
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
1991年 録音
私生活でトラブルに見舞われている間も、創作活動に集中していたドビュッシー、かねてから大きな関心を抱いていた、「青い鳥」で有名なベルギーの象徴派の詩人・作家のメーテルリンクが1892年に発表した「ペレアスとメリザンド」と出会い、この戯曲のオペラ化を熱望して、知人を介してメーテルリンクにオペラ化への許可を求める。
幸運にも作家からオペラ化の許可を得たドビュッシーは早速作曲に着手する。これから1902年の初演まで10年の長きにわたるこの作品との長い付き合いの始まりであった。
1894年2月には第1幕が完成し、その後ロジェ嬢との婚約騒動のゴタゴタのため、作曲が停滞する期間もあったものの、最終的には95年10月には全5幕の第1稿を完成させている。
しかしながら、この作品の完全な形での上演にこだわったドビュッシーに、この作品の上演の機会はなかなか訪れず、1902年4月30日にパリのオペラ・コミックで初演されるまで、さらに7年近くの歳月が流れる事となった。
20世紀のオペラの幕開けとなったといわれる重要なこの作品、ドビュッシーはメーテルリンクの台本の「言葉」を最大限生かすために、伝統的なアリアやレチタティーヴォを一切排した。それどころか、耳に心地よく響くメロディすらなく、音楽はひたすら言葉につき従うように繊細な響きを奏でていく。その音楽を通じて登場人物の魂・感情の動きが自然に浮かび上がっていく所がこのオペラの素晴らしいところ。
アバドの演奏は、この作品の素晴らしさ繊細に引き出している。ウィーン・フィルの音色がなんといっても魅力的!
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