生誕200周年記念! ワーグナーの生涯をたどって: その6 〜 流浪の民

チューリヒから去ったワーグナーは、ジュネーブを経由して1858年8月にヴェネツィアに落ち着いた。ワーグナーはしばらく当地にて「トリスタンとイゾルデ」の作曲を進めるが、当時のヴェネツィアオーストリア帝国の支配下にあったため、依然としてお尋ね者の身分であった彼は、逮捕はされなかったものの、警察の監視下に置かれることになる。

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 ヴェネツィア

そうこうするうちに、イタリアで高まった国家統一運動の動きに対処するため、オーストリア軍イタリアに派兵される事態となったため、ワーグナーは情勢が不穏となったヴェネツィアを退去し、1859年3月にスイスルツェルンに移動する。

 Lucern.jpg
 ルツェルン

ここでトリスタンを完成させた彼は、上演の機会を求めて、再びパリに行くことを決意する。パリでは、まず3回にわたって自作の演奏会を開いたが、評判は芳しくなく、トリスタンの上演も到底実現しそうになかった。チューリヒから故郷のドレスデンに帰っていた妻ミンナを呼び寄せたものの、夫婦喧嘩は絶えなかった。そんな中、思いもかけず時の皇帝ナポレオン3世の希望により、「タンホイザー」オペラ座で上演することが決まる。

 Palais Garnier
 パリ・オペラ座

上演の条件である、バレエ音楽の挿入には随分と抵抗したようだが、結局、第1幕のバレエの場面のためにバッカナーレの音楽を新たに作曲し、その他オーケストレーションにも手を加えられた「タンホイザー」(現在ではパリ版として知られている)は、1861年3月に上演されるが、多数のアンチ・ワーグナー派の妨害に遭い、怒号が飛び交う中、公演は3回で中止を余儀無くされる。

 Wagner 1860
 当時のワーグナー

こうした中で、ワーグナー擁護の声を上げたのが、詩人のボードレールマラルメで、作曲家ではグノーサン・サーンスらもワーグナーを支持し、後にワグネリアンと呼ばれる一派を形作っていく。ワグネリアンの流れがドイツではなく、およそドイツ音楽とは対極にあるイメージのフランスから発生したのは興味深い。

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 ボードレール

「タンホイザー」の失敗でショックを受けたワーグナーは、パリを離れ、ウィーンに行くことにし、1861年5月には、ようやく「ローエングリン」の上演に初めて接することが出来た。ドレスデンでの初演から実に13年の月日が経っていた。ウィーンでは、幸運な事に、トリスタンを上演してくれることも決まった。喜んだワーグナーは、勇躍、次作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲に取りかかる。またこの頃には、恩赦により、ようやく指名手配の身分から解放される。ドレスデンから亡命してから13年もの歳月が経っていた。

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 当時のウィーン国立歌劇場
 
1862年11月には、失敗に終わった故郷ライプチヒでの自作演奏会の後、ドレスデンに立ち寄り、パリ退去時にドレスデンに戻っていたミンナと最後の対面をする。この後二人は再開することなく、ミンナは1866年1月に56歳の生涯を閉じる。

     Minna Planer
     ミンナ

この後、ワーグナーウィーンマイスタージンガーの台本の朗読会を行うが、会に出席していた当時の有力音楽評論家で、ワーグナーに批判的だったユダヤ人のハンスリックは、登場人物の一人、ベックメッサーが自分を揶揄したキャラクターである事を感じ取り(当初の草稿ではは名前もベックメッサーではなく、ファイト・ハンスリッヒというあからさまにあてこすった名前だったようだ)、憤然として途中退席する。この後ブルックナーブラームスをも巻き込む事になる両者の激しい対立の始まりだった。

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膨らむ一方の借金返済のためか、1863年に半年間をかけて、ヨーロッパ各地を精力的に指揮して回ったワーグナーは、ここでリストの娘で、高名な指揮者ハンス・フォン・ビューロー夫人となっていたコージマと運命的な再会をするのであった。この時ワーグナー50歳、二児の母となっていたコージマは26歳だった。

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      コージマ

その後ワーグナーは借金取りから逃げ切れなくなり、ウィーンを夜逃げ同然に逃げ出した。潜伏していたシュトゥットガルトの宿に、一人の老紳士が訪ねて来たのはその時であった。その老紳士の名前は、フランツ・フォン・プフィスターマイスターバイエルン王国の国王付き秘書官であった…

舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」~第一夜「ワルキューレ」
Walkure.jpg
ワーグナー: ワルキューレ

ジークムント: ゲーリー・レイクス (T)
ジークリンデ: ジェシー・ノーマン (S)
ブリュンヒルデ: ヒルデガルト・ベーレンス (S)
ヴォータン: ジェームス・モリス (Bs)
フンディング: クルト・モル (Bs)
フリッカ: クリスタ・ルートヴィヒ (A) ほか
ジェームズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・同合唱団
1990年録音(ライブ)


チューリッヒに亡命中の1856年3月に完成された「指環」チクルスの第2弾、ワルキューレ。第1作の「ラインの黄金」に較べ、規模は一段と大きくなり上演時間も正味4時間にも迫ろうかという大作となったが、音楽も一段と充実し、ストーリーの起伏の豊かさも相俟って、4部作中一番人気が高く、上演頻度の高い作品となった。

 Walkure Met
 ロベール・ルパージュ演出のメトの舞台

第1幕のジークムントジークリンデのデュエットや第3幕冒頭の名高い「ワルキューレの騎行」、終結部のヴォータンの告別と魔の炎の音楽など、聞きどころは豊富だが、特に最後の場面でヴォータンが愛娘のブリュンヒルデに別れを告げる場面はとりわけ感動的!

 Walkure La Scala
 スカラ座の舞台

映像では、オットー・シェンクの演出による一世代前のメトのものが、伝統的な演出、充実した歌手陣・オーケストラと3拍子揃った名演だと思う。特に3幕の最後、ベーレンスモリスの演技・歌唱は、一期一会の感動の瞬間だと思う!また1幕に登場するノーマンもさすがのオーラを発っしている。

 Walkure Met Schenk
 メトのシェンクの舞台

CDでは、名指揮者カール・ベームバイロイト音楽祭に登場した特の実況録音が、いずれも全盛期にある歌手陣の素晴らしい歌唱を堪能する事が出来る!

Ring Bohm
ジークムント: ジェームズ・キング (T)
ジークリンデ: レオニー・リザネク (S)
ブリュンヒルデ: ビルギット・ニルソン (S)
ヴォータン: テオ・アダム (Bs)
フンディング: ゲルト・ニーンシュテット (Bs)
フリッカ: アンネリース・ブルマイスター (A) ほか
カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭劇場管弦楽団・同合唱団
1967年録音(ライブ)

 
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