リヒャルト・シュトラウスの生涯をたどって: その3

不遇だった最初のミュンヘン時代とは打って変わって、楽長として迎えられた今回は、待遇も破格で、30歳のシュトラウスは、今やニキシュワインガルトナーマーラーらと並ぶ指揮者界の新世代の旗手の一人と目されるようになっていた。

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 ベルリン・フィルとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の常任指揮者を務めたアルトゥール・ニキシュ

この時代の特筆すべき業績としては、当時まだ大作曲家としては見做されておらず、ロマン的に演奏される事が常だったモーツァルトの主要オペラを、演出も含め現代的な形で上演した事であった。

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とはいえ、相変わらず劇場の総支配人ベルハル男爵や歌劇場の歌手たち、さらには父親がいたにもかかわらず、オーケストラの楽団員との関係も悪く、そのせいもあって、自作の楽劇「グントラム」ミュンヘンで再演した際には、稀に見る大失敗に終わっている。

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後世に伝えられる、シュトラウスのこの頃の指揮スタイルは、晩年の、音楽に無関心なのではないかと取られかねないくらいクールな指揮ぶりとは違って、激しい身振りで時には興奮にかられたかのような、激しい音楽作りを特徴としていたようだ。またこの時代には、彼の代表作となる一連の傑作交響詩、「ツァラトゥストラはかく語りき」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「ドン・キホーテ」などが作曲されている。

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     指揮姿のシュトラウス

第2次ミュンヘン時代も4年が経とうとしていた1898年、終身指揮者就任の打診を受けながら、契約金を値切られるなどの相変わらずの劇場側の行為に嫌気がさしたシュトラウスは、ベルリン宮廷歌劇場からのオファーをあっさりと受ける事にする。シュトラウスは34歳になっていた。

 Berlin Royal Opera

交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
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交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1987年 録音)

スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」(69年)の冒頭に、この曲のオープニング部分が採用されて、クラシック音楽ファン以外にも幅広く知られる事になった、シュトラウスの代表作の一つ。

 2001 A Space Odyssey
 2001年宇宙の旅 冒頭シーン

言うまでもなく、表題はドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェの代表作から取られていて、この曲の発表当時、周囲からは、哲学の音楽化をはかったとして称賛されたり、非難の対象となったようであるが、シュトラウス自身は、あくまで哲学的な音楽を書こうとしたのでもなく、ニーチェの著作を音楽で表現しようとしたのでもなく、彼の著作に触発されて、人類の発展を、その起源からニーチェの超人思想の境地に至るまでの道のりを音楽で表現しようとした、と述べている(その事自体が、哲学の音楽化と言えなくもないが)。

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第2次ミュンヘン時代の1986年8月に完成したこの作品は、同年11月にフランクフルトで、作曲者自身の指揮で初演されている。

曲は大きく4部に分かれているものの、全体が切れ目なく演奏され、あまりにも有名になった序奏部分に続き、シュトラウスらしい充実した音楽が展開されていく。

ウィーン・フィルを指揮したプレヴィン盤は、ウィーン・フィルらしさを最大限に生かした、美しくスケールの大きな演奏で、リリースされた当時、テラークの優秀な録音でも話題になったもの。この曲を抵抗なく味わえる点では最右翼の演奏。

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